ビジネスニュース 2024年04月18日15:01

【第107回(第4部23回)】インドシナ・マレー半島縦断鉄道構想/タイ中高速鉄道12 ノーンカーイ

2028~29年に全線開通予定の「タイ中高速鉄道」は、東北部の要衝ウドンターニーを出発すると、1時間も経たないうちにタイ国内の終着駅ノーンカーイ駅舎に滑り込む。対岸のラオスまでは直線で2キロもないメコン川国境の小さな街の小さな駅。現在の在来線駅舎前には1軒の土産店もなく、タクシーも常駐していない。19世紀に設置されたという県も、面積・人口ともに未だにウドンターニーの3分の1以下。こんな辺鄙な街が今、開村以来の開発計画に沸いている。その中核にあるのがタイ中高速鉄道。そして、それに関連して建設されるコンテナヤードなどの付帯施設だ。

【第107回(第4部23回)】インドシナ・マレー半島縦断鉄道構想/タイ中高速鉄道12 ノーンカーイ

メコン川対岸に位置しタイ・ラオス友好橋の1号橋もあることから、ラオスの首都ビエンチャンと直接接しているかのような印象を受けるが、実は遠く20キロも離れたところに位置するのがノーンカーイ県中心部(ムアン・ノーンカーイ)だ。属国だったタイ(当時はシャム)からの独立を果たそうと挙兵したラオスのアヌ王(1767~1829年)討伐のためタイ軍によりビエンチャン全域が焼き払われたことから、急きょ代替行政都市として建設されることになった。だが、フランスがタイにメコン川左岸の割譲を要求したパークナーム事件を契機に、この地方の拠点機能はウドンターニーに移され、それ以後は長らく取り残された形となっていた。
 この地が再び脚光を浴びたのは、戦後のラオスのあり方をめぐって米国が介入した1950年代後半からだ。親米政権を支援するために同国向けの輸送路を整備する必要に迫られ、それまでウドンターニー止まりだったタイ国鉄東北部線をノーンカーイまで延伸。65年には高規格道路のフレンドシップ・ハイウェー(ミットラパープ道路)を開通させた。ラオス共産政権の誕生によって一時的な停滞時期はあったが、94年のタイ・ラオス友好橋の完成前後から交流が再び盛んとなり、2009年3月には、タイ国鉄が管理運営する国際列車のターナーレーン駅も開業した。
 そんな街にタイ中高速鉄道の発着駅が建設される。中国・雲南省とを結ぶラオスの中老鉄路と接続されることは既定路線で、タイから中国に向け国際高速列車が相互に走る見通しだ。これに伴い、メコン川を挟む両岸にはコンテナヤードなどの物流施設が建設されることになっている。すでに両国サイドで用地買収や開発申請手続きなどが始まっている。
 ノーンカーイ側のその用地は、在来線ノーンカーイ駅の一つ前ナーター駅西側にある。総面積は約43万平方メートル。東京ドーム9~10個分という広大な土地だ。造成を終え、引き込み線や停車場、積み替え施設、管理棟などの建設が間もなく始まろうとしている。今はまだ観光客の一人もいないが、ナーター駅の待合室にはその計画や様子を示すパネルが一面に展示されている。
 東北部本線のウドーンターニー~ナーター間が延伸開業したのは1955年9月。当初、ナーター駅はノーンカーイ駅という名称だった。3年後の58年7月、鉄路がメコン川沿線の市街地まで延伸され、新駅としての終着駅ノーンカーイ駅が誕生。旧ノーンカーイ駅は現在の駅名へと変更された。そして、42年後の2000年5月には、中間駅の新駅として現在の在来線ノーンカーイ駅が開設。それまでの終着駅はタラート・ノーンカーイ駅(ノーンカーイ市場駅の意)へと改称される。その後、タラート・ノーンカーイ駅は利用者の減少などに伴い2011年に廃止。現在のノーンカーイ駅が終着駅になるという経緯をたどった。
 今年2月下旬、朝焼けに包まれるナーター駅(旧々ノーンカーイ駅)に取材に出かけた。応対したのは宿直明けの男性駅員。こちらの訪問をはじめは怪訝そうに受け止めていたが、取材意図を話すと快諾し待合室に案内してくれた。タイ中高速鉄道の意義、将来性を熱く語る。「イサーン地方(タイ東北部)だけでなく、タイ国中の物産を巨大市場の中国に運んでくれる鉄道だ。完成が待ち遠しいよ」。この地方の経済活性化の切り札だと、盛んに強調していた。
 メコン川沿いにわずかな平地しか持たないノーンカーイにとって、この地方の経済発展は積年の課題であり夢であった。それを象徴する〝事件〟が04年に起こる。50キロ南のウドンターニーから、ビエンチャン行きの直行国際バスが運行を始めようとしたのだ。バスは国境で出入国手続きのため乗客を乗り降りさせるものの、それ以外はノンストップで両都市を結ぶ。ノーンカーイは通過点となり、さすがの地元経済界も住人も黙ってはいなかった。大規模な反対運動が起こった。
 結果として国際バスは運行を開始し、さらに後には航空会社がウドンターニー空港発着の国内線とミニバスの運行を組み合わせたバンコク~ビエンチャン間チケットの格安セット販売を開始。ノーンカーイの地位低下は決定的なものとなっていた。
 新型コロナウイルスの騒動などをはさみながら、それから10年。ノーンカーイは開村以来、事実上初めてとなる脚光の時を迎えている。「子どもたちに夢を。ノーンカーイに未来を」とは地元経済界が作成したパンフレットの一節だ。寄せる期待は並ならぬものがある。(つづく)

 

シェア

今すぐ登録すると、さらに詳細な情報が閲覧できます。